自己紹介の記事にて私のパチスロ略歴を書きました。
今回はその中の2002年頃の「ハイエナ稼動」について書きたいと思います。
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ハイエナの始まり
友人の付き添いでパチスロを始めたのは2002年頃。
当時は友人2名と私の3人で乗り打ちをしていました。
打っていたのは
- 巨人の星
- キングパルサー
等の天井狙い・天国狙い出来る台。
私は台の確保が担当の超ぺーぺー。
台を打つのはほとんど友人2名でした。
一人でのホールデビュー
友人の都合が合わない時に、たまに一人で稼動する時も有りました。
その時も完全にハイエナ稼動でした。
私はハイエナをしつつボーナスを店員に揃えてもらってました。
今思えばとてつもなくウザイ稼動をしていましたね・・・
当時のハイエナ状況
当時の通っていたホールは「パチスロが150」台くらい。
その中で天井狙い・天国狙い出来る台は10~20台くらいでした。
その為ハイエナ台は中々拾えませんでした。
一日5台拾えれば上出来、2.3台しか拾えないこともザラでした。
5号機時代(2017年現在)よりも「ハイエナ状況は良くなかった」ですね。
当時の台狙い方法
上記の通りハイエナ出来る台が少なかったため、台の確保のため様々な工夫をしました。
主な内容は以下の通り。
- 客の顔を覚える
- 露骨に狙わない
- 仕草や動作をよく見る
1.は基本ですね。5号機の現在でも実施しています。
止めない人の顔を覚えてその台は狙い台から外してました。
また良く止める人の台を優先的に狙っていました。
2.は具体的には「台の近くに張り付く行為」はしませんでした。
張り付いてる人も何人もいましたが、トラブルの原因にもなるのでやっていませんでした。
3.は「台を止める前兆(ガセ前兆大目)」を見逃さないために実施していました。
- メダルを箱に移す(本前兆期待度50%)
- 最後の1000円をサンドに入れる(本前兆期待度30%)
- リールを回して無い(本前兆期待度10%)
等の動作をさり気無くチェックしていました。
怪しい動きを見せたらフラっと台の前に移動。
台の近くに張り付いている人から台を取るのが快感でしたw
まとめ
2002年~2003年頃は「ハイエナハイエナアンドハイエナ」のパチスロ稼動でした。
9割以上はハイエナをしていましたね。
2014年にパチスロに復帰した時にすんなりと戻れたのは、2002~2003年の経験が大きかったかなと思います。
2005年頃のパチスロ稼動はコチラ。
「4号機北斗の拳の思い出」2005年頃のスロット稼動について
ジャグラーの後ヅモ実戦データはコチラ。
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